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「和忍」
和とは、人の心に応じて合わせることと原義されるように、心を合わせてやわらぐことを意味する。やわらぐとは、たいらか、つまり“平和”ということです。さらに、陰陽の二気がよく整ってやわらぐこと、又人の仲の良いことを“和合”といい、なめらかに整いやわらぐことを“調和”とも言う。
和とは、平和の心を求めるものである。
忍とは、刀と心から成るように、「たえる」ことの意で心のうちでとらえることを意味する。“忍耐”というように耐えしのぶ、しんぼうする“堪忍”ゆるす“容忍”というきびしい面を合わせ持っている。
“忍之一字衆好之門”
忍耐の一語を守ることが、多くの事を成し遂げるのに一番大切であると(呂本中)は曰く、“和忍”平和の心を求めるには、和合の心と、容忍の心を合わせ持つ強い精神力が必要である。
「力必達」
力は、筋力であり、働き、努めであり、能力という作用を言う。
必は、原義として武器の柄にする木のくいが折れないようにひもを巻きつけたさまで、かならずの意として用いられている。絶対に必要であるという強い意がある。
達は、通るの意で道が通じることを意味する。
武道の修練を通して、和忍の強い精神力を学び、人生の目標に何ら絶対的な力を得ること。つまり、力必達の精神こそが、人間にとって大きく成長する原動力となるのである。
初代が、戦後の敗戦という混沌とした廃虚の中で、武道の使命を今こそと考えたのである。廃虚からの再起を願い、平和の尊さと忍のむずかしさを忘れる事なく、将来に向かってしっかりと目標を持って邁進する姿を思い、和忍・力必達という語を掲げたのである。今日の武道は、競技中心か、闘争的な過激な面ばかりが注目され、本来の目的である、人格の陶冶形成がなおざりにされており、社会生活においても大切な礼節が簡略化され、心の併ない挨拶となっている。
今こそ和忍・力必達の精神を理解する拳士が幾多と増え、社会の模範となるべく日夜、武道を精進しなければならないのである。
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